【column】うらおもて人生録(新潮社/色川武大)

 「非日常に浸る」というわけではないですが、少し心に響いた本に出合ったので、コラムとして。

「雀聖」と呼ばれる著者が語る “生き方のセオリー”

『うらおもて人生録』(色川武大/新潮社)

 著者の色川武大氏は、中学(今の高校)を中退し、世間に身のおきどころもなく、世間とも融けあわず、博打場でばくち打ちとしてメシを食ってきたと言います。のちに「雀聖」と呼ばれる著者。

 私は不良少年の出で、どこから見ても劣等生であります——

 そう語る彼は学生時代、“ 勉強を、まるでしない。勉強する、とか、人に物を教わる、とかいうことがどういうことか、結局わからずじまいで学校にいかなくなってしまった。” と語り、自身を 「劣等生の代表」 だと言います。

 そんなまっとうな道を外れ生きてきた著者が、社会の裏道を歩み、悟った世の中の原理原則(著者自身の社会の見方、認識のようなもの)を踏まえ、これから人生を作ろうとしている若者に、生きるうえでの “ 技術 ” に焦点をあて、生き方のセオリーを説いている一冊です。

 著者は敗戦直後の日本で、博打場で日銭を稼ぐアウトローな生き方に身を投じてきました。わたしは、著者とは生きて来た時代がすっかり違うので、「生きるうえでの技術」と言われても、正直、参考になることは少ないのではないかと思っていました。しかし、著者の経験を元に語られる原理原則や、それを踏まえた「生きるうえでの技術」に、大きな共感と納得感を覚えました。

 本書は若者向けに書いたと著者は言います。ただ、会社員のわたしには、その言葉を自分の経験をもって理解できました。また、会社員をやっていると、腑に落ちない、理解できない理不尽なことを経験される方も多いと思います。わたしは、本書を読み、それら納得いかない経験が、腹落ちし消化されていくようでした。

 まっとうな道から外れたからこそ、冷めた目で「本質」を見極め、生き方の技術を語る本書は、若者だけでなく、ぜひ会社員の方にもおすすめしたい一冊です。

 本書では語られる代表的な「技術」を紹介してみます。

フォームをつくる

 人生は長いみちのりです。持続的に今いる世界で生きていくには「フォーム」が大事なんだと著者は言います。

フォームというのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六分四分で有利な条件を自分のものにできる、そう自分で信じることができるもの、それをいうんだな。

『うらおもて人生録』(色川武大/新潮社)

 人生において、なにもかもうまくいくということはありません。著者は、なにもかもうまくいかせようとすることは、技術的には、間違っていると言います。そして、フォームというものは決して全勝を狙うためのものではなく、たとえわずかでも、これを守っていれば勝ち越せるという方法で、それを掴むことが重要なのです。

 一喜一憂せず、6分をとって4部は捨てる。淡々と掴んだフォームを守ることができれば、その世界で持続的に“メシを食う”ことができると言います。

 確かに、なにもかもうまくいくということはありえません。でもわたしは、なぜ全勝を狙わないのかとも、思いました。著者曰く、大勝、全勝を目指すことは、“自身が破綻するような負け”に追い込まれる可能性があると言います。

 仕事で会社が求めるなにもかもに応えようとし、健康を害する。仕事で全勝、大勝を挙げようとして、人間関係や家庭が破綻。こうなると持続的に働くことは難しいのです。思いっきり勝ってしまうことは、持続できないような負けを引き寄せることにもなりかねないのです。

 だから著者は適当な負け星をひきこむ工夫の方が必要と言います。適当な負け星を選定して、大負けになるような負け星を避けていくということ。6分をとって、わるびれず4分を捨てる。これを「フォーム」といい、自分の手で紡いでいくしかないものなのです。

十両あたりの位置なら十分確保できる力量の力士がいる。彼がたまたま体調もよく、ツキもあって、十両優勝をしてしまい、番付がぐっとあがって幕内に入った。ここで実力の相違で、思いきり叩きつけられて、大負け越しをして又もとの十両に戻る。それで十両なら勝てるかというと、自身も崩れ、フォームも崩れて、やっぱり大負け越し。本来の力量の位置も保てずに幕下にさがってしまう。よくある例だ。

『うらおもて人生録』(色川武大/新潮社)

 わたしも過去、働いていて、フォームを崩したことがあったんだと気づきました。社内で中核となって働けるようになってきて、自分の能力を疑わず、すべてをとろうとして、心と身体に傷を残す—―

 実際の生活、職場においては、勝敗や形勢は明確ではなく、はっきりしない曖昧なものです。それだけ流されやすいもので、自分のフォームをしっかり自覚し、常に崩れていないか点検することが大切なのです。

単なる技術論だけではない

 著者の色川さんは、敗戦直後の状況を「自分一人の欲望でじたばたできるのが嬉しくてね」と語り、世の中の機構が整ってなかったから、誰でも好きなことをやっていけたと言います。一方で、若者に対しては、自分のツボではなく、世間のツボにはまって生きなければならない(またそう仕込まれる)のだと。

 学歴や仕事という世間のツボ。勝つ以外に生きる道はないと教え込まれる所。まして4分捨てるようなことは、絶対に教えられない所です。皆、あらゆる面で高得点を目指そうとするようになってしまう。

 だけど、職場で考えてみると、同じ学校や会社に入っている時点で、一定のスクリーニングを経ている人たちなのだから、皆似たような力量です。そこで生存競争をすれば、当然負けることもあるのに、皆負けまいと必死になって走っているように思います。

 負けないことを言いかえると、あらゆる科目で及第点をとる、あらゆる知識を有し対応できる。そんなオールマイティーな人間が学校でも会社でも目指すべきもののように評価されてきました。だから皆(わたしも含め)自分の欠点を埋めようと必死になってきたように思うのです。

 色川さんは、4分は捨てるものと言います。フォームとしてこれを前提に置けば、つまり、4分を失っても心乱さずにいられるのです。

 これまでの自分を振り返ると(特に社会人になってから)、負けないよう(評価されるよう)自分に足りないものばかりに目をやり、埋めようばかりしてきたように思うのです。でも自分に足りないものは、自分が不得手とするものでもあるので、それを埋めようとすることは、不得手なことをするということになり、結果として劣等感や自己嫌悪が募るばかりでした。

 4分をわるびれず捨てる――所詮、自分は自分以外の人間にはなれないのだから、もっと自分の好き、得意に目を向けて働いていけばいいのではないかと感じます。「評価されない」「出世しない」「彼女ができない」生きていれば、いろいろあるだろうけど、4分を捨てることを受け入れることができれば、平静に心穏やかに過ごすことができるのではないかと思います。

 令和に入り、昭和、平成で築き守られてきた価値観は少しずつ変化しつつあり、人々の幸せの価値観が再構築されようとしているように思います。本書で語られている、色川さんが悟った世の中の原理原則は、今でも通用する社会の現状認識であり、新たな価値観を再構築するうえで、土台になりえるような気がするのです。


ukoro

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